2.こんなことってあるのか!!!
目標も、
もちろん見失ってたし、
企業は撤退するし、
もう、環境がそんなんだったら、
自分は世界を目指すというよりも、
楽しみながらクラブチームで、
やらざるおえなかった。
っていうのもあったし、
やっていこうかな。
っていう気持ちは、
自分はあったんですよ。
でも、そういう気持ちで、
やってたのが、
1年間ぐらいで。
きっかけはやっぱり、
私たちの1つ下の世代が、
上を目指してる姿勢だったりとか、
その気持ちを感じて。
もちろん見失ってたし、
企業は撤退するし、
もう、環境がそんなんだったら、
自分は世界を目指すというよりも、
楽しみながらクラブチームで、
やらざるおえなかった。
っていうのもあったし、
やっていこうかな。
っていう気持ちは、
自分はあったんですよ。
でも、そういう気持ちで、
やってたのが、
1年間ぐらいで。
きっかけはやっぱり、
私たちの1つ下の世代が、
上を目指してる姿勢だったりとか、
その気持ちを感じて。
栗ちゃん
どの方たちですか?
山郷さん
えとね、
たまたま、自分が、
目標を見失ってるときの、
代表のメンバーが、
日テレ・ベレーザの
荒川選手とか、
酒井選手とか、
小林選手、
ベテランの先輩選手もいたけど、
自分たちよりも、
ちょっと下の年代の人たちが、
やっぱりもう全然違って。
たまたま、自分が、
目標を見失ってるときの、
代表のメンバーが、
日テレ・ベレーザの
荒川選手とか、
酒井選手とか、
小林選手、
ベテランの先輩選手もいたけど、
自分たちよりも、
ちょっと下の年代の人たちが、
やっぱりもう全然違って。
栗ちゃん
意識が?
山郷さん
意識というか、
プレーが全然、
前向きだったりとか、
私、それを見て、
自分は1年間何をしてたんだ・・・と。
自分は、
ぜんぜん立ち止まってたけど、
若い選手は、
どんどん前に、
進んでるっていう姿を見て。
アメリカ戦だったんですけど、
若い子達が、
すごい頑張ってた試合があって。
荒川選手が、
アメリカ相手に、
裏のスペースに飛び出してって、
普通だったら、
足で負けてしまうんですよ。
それまでの日本人って。
それをぶっちぎって、
ゴールは、
できなかったんですけど、
シュートをできたのを見て、
ビックリしちゃって、
「こんなことってあるのか!!!」
って感じで。
プレーが全然、
前向きだったりとか、
私、それを見て、
自分は1年間何をしてたんだ・・・と。
自分は、
ぜんぜん立ち止まってたけど、
若い選手は、
どんどん前に、
進んでるっていう姿を見て。
アメリカ戦だったんですけど、
若い子達が、
すごい頑張ってた試合があって。
荒川選手が、
アメリカ相手に、
裏のスペースに飛び出してって、
普通だったら、
足で負けてしまうんですよ。
それまでの日本人って。
それをぶっちぎって、
ゴールは、
できなかったんですけど、
シュートをできたのを見て、
ビックリしちゃって、
「こんなことってあるのか!!!」
って感じで。
栗ちゃん
ちなみにそのときは?どこから?
同じピッチに?
同じピッチに?
山郷さん
立ってました。
で、それを見て、
「自分も、もっともっと上を
目指さなきゃいけないんだ!」
っていう気持ちにさせられたし、
で、それを見て、
「自分も、もっともっと上を
目指さなきゃいけないんだ!」
っていう気持ちにさせられたし、
これだったら、もしかしたら、
日本は、世界に、
近づくことができるんじゃないか!
っていう期待をもちながら。
っていうのが、きっかけでした。
日本は、世界に、
近づくことができるんじゃないか!
っていう期待をもちながら。
っていうのが、きっかけでした。
栗ちゃん
言葉で、こういう風にやろうよ!
とかっていうんじゃなくて、
実際に同じピッチの中の、
70~80m先で、
とかっていうんじゃなくて、
実際に同じピッチの中の、
70~80m先で、
雄弁に無言の背中が、
語ってるわけですね?
荒川選手の背中が。
で、それを見てたら、
「うわーやばいわ!
私こんなことしてる場合じゃない」
と。
語ってるわけですね?
荒川選手の背中が。
で、それを見てたら、
「うわーやばいわ!
私こんなことしてる場合じゃない」
と。
山郷さん
そうですね。
ホント、その試合が、
自分を変えてくれたっていう感じ。
ホント、その試合が、
自分を変えてくれたっていう感じ。
栗ちゃん
言葉じゃないっすね。
1つのプレーを見てなんだ。
(ちなみに、山郷さんの人生を変えたという
この荒川選手、
数年前の全日本女子選手権で、山郷さんと接触し、
右スネを開放骨折、
切断の可能性を宣告された。
しかし、山郷さんが号泣してお見舞いした際に、
「人生、これもあり」と笑って受け止めたという、
心温まるが痛々しいエピソードがある)
1つのプレーを見てなんだ。
(ちなみに、山郷さんの人生を変えたという
この荒川選手、
数年前の全日本女子選手権で、山郷さんと接触し、
右スネを開放骨折、
切断の可能性を宣告された。
しかし、山郷さんが号泣してお見舞いした際に、
「人生、これもあり」と笑って受け止めたという、
心温まるが痛々しいエピソードがある)
山郷さん
そっからですね、
自分が、
「じゃあ、何をしなきゃいけないか?」
っていうことに気づいて、
クラブチームだったんですけど、
そのチームに、
ゴールキーパーコーチ(以下GKコーチ)が、
いなかったので、
GKコーチのいる場所に、
トレーニングに行きました。
私そのころの所属が、まだ、
三重県の、
伊賀フットボールクラブだったので、
地元(さいたま市)に、
帰って来まして。
当時、
代表に初めて呼ばれた時の監督が、
宮内聡さんで、
成立学園(東京)で総監督をされてて、
今もされてるんですけど、 相談したら、
「ここでも練習はできるし、
キーパーコーチもいるから」
っていうふうに、
「やってみるか?」
っていうような声を、
かけてくれたんですね。
それは、宮内さんが、
無理やり「来い!」
っていうことじゃなくて、
自分が、
「そういう場所があるんだったら、
是非、お願いしたいです!」
っていうことをお願いして。
自分が、
「じゃあ、何をしなきゃいけないか?」
っていうことに気づいて、
クラブチームだったんですけど、
そのチームに、
ゴールキーパーコーチ(以下GKコーチ)が、
いなかったので、
GKコーチのいる場所に、
トレーニングに行きました。
私そのころの所属が、まだ、
三重県の、
伊賀フットボールクラブだったので、
地元(さいたま市)に、
帰って来まして。
当時、
代表に初めて呼ばれた時の監督が、
宮内聡さんで、
成立学園(東京)で総監督をされてて、
今もされてるんですけど、 相談したら、
「ここでも練習はできるし、
キーパーコーチもいるから」
っていうふうに、
「やってみるか?」
っていうような声を、
かけてくれたんですね。
それは、宮内さんが、
無理やり「来い!」
っていうことじゃなくて、
自分が、
「そういう場所があるんだったら、
是非、お願いしたいです!」
っていうことをお願いして。
栗ちゃん
じゃあ、自分から仕掛けて?
山郷さん
そうですね。
「3.行っちゃうんですよね(笑)」へ続きます
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それを、背負って、
みんなで戦ったっていう試合が、
北朝鮮だったと思うんですよ。
だから、北朝鮮に向かうまでの、
シドニーでダメになったときには、
やっぱり自分の力を知ったというか、
その時、若かったから、
自惚れから、
「こんなにやったのに、世界は遠かった」
っていう印象で、
帰ってきたんですよね。