4.もったいない
栗ちゃん
へー!
加藤さん
つらかったんだけども、
すごく充実したっていうか。
すごく充実したっていうか。
栗ちゃん
その混在は、分かる気がしますね。
体、足は、ズキズキですけど、
妙な、興奮とか恍惚感というか。
体、足は、ズキズキですけど、
妙な、興奮とか恍惚感というか。
加藤さん
とにかく、
90キロまで、
3時間で歩かなきゃいけないとか、
95キロは何時間ていう、
ゴールすることを、
逆算して、自分で歩き出したのね。
アレは、すごい思考の変化というね、
見事、もうギリギリで、
制限時間、
30時間とかなんだけど、
29時間54分とか、
ギリギリで、
歩ききったんですよ。
90キロまで、
3時間で歩かなきゃいけないとか、
95キロは何時間ていう、
ゴールすることを、
逆算して、自分で歩き出したのね。
アレは、すごい思考の変化というね、
見事、もうギリギリで、
制限時間、
30時間とかなんだけど、
29時間54分とか、
ギリギリで、
歩ききったんですよ。
ゴールしたときの感動が、またね。
栗ちゃんも、
ゴールしたから分かると思うけど、
もう、なんともいえないもう、
まさに、
感謝、感激、感動でね。
自分が、ギリギリ、ゴールできた。
っていう、
ホントに感激ですよね。
あとは、
その後に、
出てきた思いっていうのが、
これはもう、
自分の力だけで歩いたんじゃない。
ずーっと、
サポートで、支えてくれた、
みんなのおかげで、歩いたんだ。
っていう感謝の気持ちですね。
で、感動ですよ。
みんなに支えられて、
自分が、目標達成できた!
っていう感動の気持ちがですね、
混然となって、
入り混じった気持ちで、
涙が止まらなかったしね。
サポートしてくれたみんなが、
ゴールで、
待っててくれたから、
もう抱き合ってくれてね、
もう、感謝して。
その気持ちを、味わったんで、
その時にボク思ったのが、
こんなに素晴らしい大会はない。
こんな感謝、感激、感動は、
生まれて初めて、ボクは経験した。
っていう思いで。
その時に、
この素晴らしい大会を、
自分達の地元でも開催しよう!
この経験を、
自分だけでは、もったいない。
と思ったんで、
なんとか、
自分の地元の、
川湯温泉でも開催しようと。
ただ、やっぱり、
ノウハウもないし、
仲間もいないんでね、
すぐに、開催する事はできない。
と思った時に、
5年後に、
開催しようと思ったんですよ。
それまでに、
愛知の100キロウォークに参加して、
たくさんの仲間を増やして、
その仲間と一緒に、
北海道で、
100キロウォークを開催しよう!!!
と思ったのが、
キッカケというかね。
栗ちゃんも、
ゴールしたから分かると思うけど、
もう、なんともいえないもう、
まさに、
感謝、感激、感動でね。
自分が、ギリギリ、ゴールできた。
っていう、
ホントに感激ですよね。
あとは、
その後に、
出てきた思いっていうのが、
これはもう、
自分の力だけで歩いたんじゃない。
ずーっと、
サポートで、支えてくれた、
みんなのおかげで、歩いたんだ。
っていう感謝の気持ちですね。
で、感動ですよ。
みんなに支えられて、
自分が、目標達成できた!
っていう感動の気持ちがですね、
混然となって、
入り混じった気持ちで、
涙が止まらなかったしね。
サポートしてくれたみんなが、
ゴールで、
待っててくれたから、
もう抱き合ってくれてね、
もう、感謝して。
その気持ちを、味わったんで、
その時にボク思ったのが、
こんなに素晴らしい大会はない。
こんな感謝、感激、感動は、
生まれて初めて、ボクは経験した。
っていう思いで。
その時に、
この素晴らしい大会を、
自分達の地元でも開催しよう!
この経験を、
自分だけでは、もったいない。
と思ったんで、
なんとか、
自分の地元の、
川湯温泉でも開催しようと。
ただ、やっぱり、
ノウハウもないし、
仲間もいないんでね、
すぐに、開催する事はできない。
と思った時に、
5年後に、
開催しようと思ったんですよ。
それまでに、
愛知の100キロウォークに参加して、
たくさんの仲間を増やして、
その仲間と一緒に、
北海道で、
100キロウォークを開催しよう!!!
と思ったのが、
キッカケというかね。
栗ちゃん
それで、実際に5年後に、
実現?
実現?
加藤さん
そうですね。
ちょうど、6年後ですね。
5年間、
その100キロウォークに参加して、
その間に、
ボクが、翌年やったのは、
とにかく、
たくさん、自分の仲間を、
100キロウォークに、
参加させることが、
ボクの、ミッションだったんですよ。
自分達の仲間に、
体験してもらいたい。
っていうことがあって、
とにかく、すごい大会だよ。
すごく良かったよ。
って参加して、
ボクは、
翌年はサポートで参加して、
それを、
ずーっと、繰り返していくうちに、
50人60人ぐらい、
自分達のボクの仲間が、
100キロウォークに、
参加してくれたんですよ。
同じ思いで、
これは、素晴らしい感動体験だと。
で、6年目にね、
「この大会、
実は、北海道で開催したいけど、
みんなに、協力して欲しい!」
って話したら、
初年度、
75人の参加で、50人ぐらい、
ボクたちの仲間が歩いてくれたり、
サポートしてくれたりして、
参加して。
去年も、
150人の内の120名ぐらい、
三河の100キロで、
出会った仲間達とかその関連が、
参加してくれたんですね。
っていう形で、
無事、2006年、2007年、
開催する事ができたんですけど、
なぜ、
地元でやりたかったかというと、
ちょうど、6年後ですね。
5年間、
その100キロウォークに参加して、
その間に、
ボクが、翌年やったのは、
とにかく、
たくさん、自分の仲間を、
100キロウォークに、
参加させることが、
ボクの、ミッションだったんですよ。
自分達の仲間に、
体験してもらいたい。
っていうことがあって、
とにかく、すごい大会だよ。
すごく良かったよ。
って参加して、
ボクは、
翌年はサポートで参加して、
それを、
ずーっと、繰り返していくうちに、
50人60人ぐらい、
自分達のボクの仲間が、
100キロウォークに、
参加してくれたんですよ。
同じ思いで、
これは、素晴らしい感動体験だと。
で、6年目にね、
「この大会、
実は、北海道で開催したいけど、
みんなに、協力して欲しい!」
って話したら、
初年度、
75人の参加で、50人ぐらい、
ボクたちの仲間が歩いてくれたり、
サポートしてくれたりして、
参加して。
去年も、
150人の内の120名ぐらい、
三河の100キロで、
出会った仲間達とかその関連が、
参加してくれたんですね。
っていう形で、
無事、2006年、2007年、
開催する事ができたんですけど、
なぜ、
地元でやりたかったかというと、
「5.町おこし、人おこし」へ続きます
コメント(0) | トラックバック(0)
80キロから精神状態も、
体もボロボロだったんだけど、
ゴールすることを考えた自分がいて、
そしたら、
ペースも上がってですね、
確かに、痛かったんだけど、
そっから先はもう、
ゴールしかなかったんで、
痛みも忘れて、ペースも上げて、
歩ききれたんですね。
ただ、最後の80キロから100キロは、
自分の中では、
すっごい、楽しかったんですよ。