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06/11/16
3.一瞬一瞬の大切な表現
京子ちゃん
みんな夢を持って、例えばあのぅ、
そのために勉強するじゃないですか。

でも、それはその、それぞれが
夢を持っていることにであって、
…例えば私は喋ることが好き。

でも、他に、数学はできるけど、
喋るのが嫌いって人もいるじゃないですか。
そうするとみんな、
持つ夢がパターンが違いますよね。

それがその人の世の中で、
全うして死んでいくまでの、
要は、やらなくていけない、
その人が生きる上での役割に繋がっていく、
第一歩の道の入り口だと思ってるんですよ。
夢なんてものはそういうものだと……


私は喋るのが好きで、道の入り口が
「喋ること」だったんだけど、
それでたまたま、こうして栗ちゃんと
喋っている中でも、
何か、いろんなことがリンクしてくる。

そん中の一つでもやっぱり
「自分がコレ役割だな」
だと思うキッカケとなったのは、大学の教授が、
その頃、日芸(日本大学芸術学部)のね、
大衆芸術の授業の時に、

「落語は人気者がいるから廃れないけど、
講談は、いないから廃れる」って断言してて、
それを聞いたときに、
「ちょっと待って!」って思ったんですよ。
「じゃあ、私が人気者になれば、
私が生きてる間は講談は廃れない
って事ですよね、先生?」みたいに思った。


060802_1456~01.JPG


それはもう役割としか思えないですよね。
他にそういうことを思う人いないんだから。

ってことは、何か、私は喋りが好きで
いろいろアナウンサー目指したりしてて東京来て、
でも、アナウンサーだけじゃないって事を知って、
いろんな派生をしている中で、
自分がいろんな夢を持ったことで
進んでったことに対して、かかってくる環境でもって、
ドンドンいらないものが削除されながら、
余分な知識が入ってきたりとか、
いろいろする中で、その講談っていうものに
どうしても惹かれなくちゃいけない運命に
なってるわけだから、これはもう、
私の死ぬまでにやる役割だと思うわけです。

そういうのはみんなそれぞれあるから、
みんなそれぞれ職業持ってるわけじゃないですか。
っていう中で、
「講談」を自分の中で捉えているんです…。

ただ、講談ってものは
日本語を喋る職業ですよ。
それはもう普通に生きてる人は
みんな日本語喋って生きてる。
      
栗ちゃん
はいはい。
京子ちゃん
ってことは、それを何かね、
「講談師って偉いんだぞ」
っていう必要性はまったくないんですよね。
要は、日本語喋ってるだけで
お金もらってるってことは、
ハッキリ言って、別に何てことないんですよ。

そりゃ、もちろん古典の話があって
それを、ありがたがって
聞いてくださる人はいるけど、
それはもう、私らにとったらただの訓練であって、
今はそれを踏まえた上で、何かブチ壊しながら
次に行けるようなものがないといけないですよね
でないと次はないわけです。
伝統っていっても、次は無い芸能なわけですよね。

だから、逆にいえば、もうその講談っていうのは、
私の天職であり、役割なんだけども、
それを無駄なことに、
もっと自分の枠を広げるために、
あの、川上さんの精神不安定…じゃない、何だっけ?
自律神経じゃないけど、そういうふうに、
あちこち不安定になりながら、
こう、ブチ壊したり、構成したり、
自分がドンドン広げるために
それだけ痛みを伴っていかなきゃいかんというわけですね。
今、私はその真っ最中です

(かわけんがこの数日前、
足ツボマッサージに行った際に
『自律神経が崩れてる』と言われ、
でも、自分に負荷かけてでもやらなきゃらならん時期
もあるよねぇ~なんてことを

対談前に話したのが経緯で、↑の表現になってます)
栗ちゃん
あぁ。
京子ちゃん
歌を歌ったっていんですよ。
何だっていいんです。
文章を書いたりしたって。
とにかく「講談」は全部日本語だから。
全部、結局「講談」に繋がる。
栗ちゃん
そっか、そっか。
京子ちゃん
ホントはそんな、こんな字だって、
これだって、この汚い字の進行表だって、
その人のその時にしか書けない
表現なわけじゃないですか。

いつ書いたのか、わかんないけど、
今書けって言われたって、
同じカタチには書けないわけですよ。
それこそ、一瞬一瞬の
大切なその人の表現な訳なんですよね。

(かわけんが書いてふたりに渡した対談の進行表
のことを指して、京子ちゃんは汚い字と言って
ます:笑  …まぁ、確かに汚いことは認めますが…)

それを、やっぱりドンドンやってかないと、
やっぱり表現者としてはウソだなってのが、
あるんで、まぁ、今はとにかく
「講談」だけに固執しないで、
ドンドン表現媒体はやりたい。
で、「講談」の一部だと思ってるぐらいでやりたい。

じゃないとね、飽きちゃうんですよ。
同じことだけやっても。
飽きるってことは「講談」に対する
テンション低いだろって人もいるんだけど、
そうじゃないんです。
真面目にそれだけばっかりやって
飽きないっていう方が、
その世界にただ酔ってるだけで、ね?
もっと何とかしてこの…
もっと良くしたいから、同じことだけ
やっちゃいけないっていう気持ちが
ちょっと危機感があるから、
他に火をつけてヒントを得て、やるわけ。
また戻るわけだから。

そこでどっぷり浸かって、
何か、ゆるゆる過ごしてて、
飽きないっていうのは、
その世界で、腐ってるだけなんですよ。
そうするともう、次が無いわけ。
自分が生きてる、一番ゆるゆる、
その中で行けるけどみたいな。
栗ちゃん
あぁ…。
京子ちゃん
そういう、まぁ…気持ちでいる部分が強い。



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